教員・研究紹介

教授:服部 美奈

HATTORI, Mina (名古屋大学大学院) 博士(教育学)

《教育人類学・比較教育学》
学校教育に限定せず、教育を広い文化的文脈において捉え、多様な意味の網の目のなかで育つ人間の総体的で動態的な理解を目指します。基本的には海外をフィールドとし、その地域の人間・価値形成のあり方や、その基底にある人間観・教育観、さらに教育の地域的特質を現地でのフィールドワークを通して考える学問分野です。異なる国や地域の教育を知り、人間が生きることの意味の多様性を理解することで、最終的には日本の教育の方向性を再考することにつながると考えています。研究室の院生の皆さんの研究対象地域は、東アジア、東南アジア、中東地域、アフリカ、北欧、ヨーロッパ、オセアニアと多様性に富んでいます。また、本研究科の教育人類学は比較教育学から発展した学問領域でもあるため、問題関心を共有しています。

《研究関心》
インドネシアをフィールドとし、主にイスラーム文化圏における人間形成のあり方を研究しています。より具体的には、イスラームのなかの「子ども」に関する研究、イスラーム教育の伝統と革新、グローバル化時代の宗教指導者養成と多宗教・多民族の共存、イスラームにおける「知」の変遷と創造、ムスリム女性の教育、島嶼国家における辺境地・島嶼部の教育などを研究しています。同時に、インドネシアに限定せず、広くはイスラームそして東南アジアの教育に関心があり、比較教育学・教育人類学分野で異なる地域をフィールドとする研究者の皆さんや、イスラームやアジアを対象する地域研究者の皆さんと研究交流をすることにより、視野を広げるようにしています。

主要著作

  1. 服部美奈・小林寧子編著、長澤栄治監修(2020)『教育とエンパワーメント』(イスラーム・ジェンダー・スタディーズ3)、明石書店
  2. 服部美奈(2015)『ムスリマを育てる−インドネシアの女子教育(イスラームを知る20)』山川出版社.
  3. 小川佳万・服部美奈編(2012)『アジアの教員−変貌する役割と専門職への挑戦−』ジアース教育新社.
  4. 服部美奈(2001)『インドネシアの近代女子教育−イスラーム改革運動のなかの女性』勁草書房.

専門領域について

Q どのようなきっかけでこの学問を始めたのですか?

ふりかえると2つのきっかけがあります。一つは、言語療法士を目指して教育学部に入学したものの、学部2年生を終えた頃には世界の多様な文化や価値を知ることができる文化人類学に強く惹かれていました。そして、教育学のなかで最も文化人類学に近い領域はどこかを考えた結果、比較教育学を選びました。もう一つは、もともと人が生きる際の指針となる価値がどのように形成されていくのかということに関心があり、それが最も強く表われるものとしての宗教に興味をもっていました。なかでもイスラームは、世界の多くの人々(5人に1人と言われています)が信仰しているにもかかわらず、その時の自分にはまったく未知の世界でした。フィールドを重ねながら、人間が営む多様な生と死のあり方を知りたい、と思いました。インドネシアをフィールドにしたのは、学部3年生の時に読んだクリフォード・ギアーツの『文化の解釈学』が面白かったからです。ギアーツはインドネシアをフィールドの一つにしていました。また、比較教育学や教育人類学という学問分野は、人が文化・宗教を越えて相互に理解しあうために、人間形成過程において何が必要とされるのかを常に考えることができるという意味で魅力的だと思いました。

現在の研究について

Q 現在の主要な研究の内容を教えてください。

研究関心が広がり、多少収拾がつかない状態です。研究の出発点となった博士論文ではインドネシアの女子教育を研究しました。このテーマ設定は異なる地域や文化のなかで暮らす女性の生き方に、同じ女性として関心をもっていたからかもしれません。いろいろな地域の女性たちと出会い、語り合うと、自分自身が体験してきた葛藤と共鳴する部分があります。私にとってフィールドワークの一番の魅力は、多様な地域や文化、時には困難のなかで真摯に生きている素晴らしい人々と出会えることです。そのような魅力的な人々との出会いから、ポジティブなパワーをいつもいただいています。また、研究するうえでいつも心がけているのは、自分の人生のなかに研究を位置づける、意味づけることです。研究の成果を広く社会に還元することは大変重要なことですが、まずはその最初の出発点として、自己研鑽につながる内省的な研究でありたいと思っています。

Q 今までの研究で一番心に残っている出来事、ハプニングを教えてください

いろいろな出来事がありましたが、やはり大学院時代にインドネシアの女子イスラーム寄宿学校の寮に2年半暮らしたときに経験した種々の出来事でしょうか。寮母として住んでいた70歳くらいのムスリム女性との出会いと何年にもわたって繰り返された対話は今も深く心に残っています。彼女は、いつまでたってもムスリムにならない異教徒の私を本当に可愛がってくれたのですが、その彼女が飽きることなく、諦めることなく、時折、静かに私に、「イスラーム諸学もアラビア語も勉強し、礼拝の章句も暗誦しているのに、どうしてムスリムになろうとしないのか。イスラームのことで腑に落ちないことがあればどんなことでも聞いてほしい。私はあなたが死んだときに、あなたの遺体が焼かれるのは耐え切れないのだ。そんなことをしたら来世で生まれ変われないではないか。ムスリムになってインドネシアで死んでくれたら….。」と涙を浮かべながらじっと私を見て言いました。「すばらしいムスリムの人々とも出会い、イスラームの良さもわかっている。だけど、だからこそ、私は最大の誠意をもって、心から納得できない限り、ムスリムになることはできないのだ。」と答える私を、深い愛情と絶望の混在した目でみつめていました。時折繰り返されるこの対話は、どんなに話し合っても越えられないものがあるということと、それでも変わらない愛情を抱くことができる、という人間のせつなさと暖かさを感じる出来事でした。

学生へのメッセージ

Q 求められる学生像を教えてください、またその他なんでも結構です。

自分が大した人間ではないので、あまり立派なことは言えません。ただ、学問をする上でも日常生活を送る上でも私が大切だと日々感じることは、共感性(あるいは自分とは異なる状況や立場にある人やものや自然に対する想像力)が高ければ高いほど、人間は豊かに寛容に生きられるのではないかということです。自分とは相容れない人間だからとか、自分とは関係ないから、といろいろなものや人やコトを切り捨てるのではなく、自分と異質なものでもどれだけ愛情をもって接することができるかで、人生の深さが変わるように思います

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