論文提出者の声 – 森川 華帆
行動系/修士
修士論文を書き終えて
修士課程の2年間は授業と研究とその他日常生活で埋め尽くされ、振り返ってみるとあっという間のことでした。ここでは修士論文の執筆にあたり改めて考えたことを綴りたいと思います。あくまで私の考え方ではありますが、この文章をお読みになった方が何か考えるきっかけになれば幸いです。
第一に修士論文では、すでに存在している知識を学ぶ「勉強」と、まだ解明されていない問題を見つけ出し答えらしきものを見つける「研究」の2つの力が要されます。小中高ではより多くの知識を身につけ、与えられた問題にいかに正確に回答できるかが評価されてきたので「勉強」のやり方を知っている人は多いです。一方で大学生や社会人になって、評価対象が新たな問題提起や他者と違う考え方・アプローチなどに移り変わり、戸惑う人は少なくないと思います。しかし見つけ出すべき問題は「普通だと思っている世界」にいくつも潜んでいて、少し見方を変えてみると意外と多くの「あれ?」に気付けるのかもしれません。私は修論を通して、固定観念に囚われることは自分で世界を狭めていることと同義であると感じました。
では研究だけをしていれば世界が広がるか、と言われるとそうではありません。果たしてその問いは意味のあるものなのか、それを判断・解決するためにも知識や技術を学ぶことは必要不可欠です。自分の想像し得ることよりも、先人の積み上げてきた知識はずっと偉大でもっと膨大なのです。すでに体系化されている知識を活かし、更なる発展を目指すことが人類の叡智を築く近道なのだと思います。ここまで仰々しく書きましたが、勉強不足は私の反省点であり学ぶべきことは本当にまだまだたくさんあります。これは頭では理解していても実際に行動に移すとなると高い壁を越える必要があり、その壁は見るだけで億劫な気持ちになります。しかし少しずつでも努力すること、勉強を怠らないことは研究の大前提として非常に重要であると痛感しました。
最後に日常生活はとても大切です。研究に没頭すると生活リズムが崩れてしまったり、予想外にスケジュールがずれ込んだりすることが往々にしてあります。この状況に慣れて時間と心身を費やすことは結果的に素晴らしい研究につながるかもしれませんが、自他を大切にできていないという点で問題があると思います。こちらの事情を汲み取り、寄り添ってくれる家族や友人はもちろんのこと、自分自身のことを大切にしてあげてください。すべての営みのもとに、自分と、自分を想ってくれる人の幸福がありますように。