論文提出者の声 – 上田 皐介

行動系/博士
現所属:日本学術振興会特別研究員PD・名古屋大学大学院教育発達科学研究科

博士論文執筆、院生生活からの教訓帰納

 「論文提出者の声」の執筆依頼をいただいた時、私は多くの人に助けられ、また幾度となく運に救われてきたことばかりが浮かび、私自身の言葉として何を書くべきか悩みました。ただ、せっかくこのような機会を賜りましたので、昔の自分に伝えるイメージで、経験から得たと思えることを書かせていただきます。

 まずは博士論文執筆についてです。博士論文と他の学位論文について最も異なると思った点は、通常博士論文では1つのテーマについて数多くの研究を行うことと、それらの知見のまとめが要求されることです。私はこれに応えようとする中で、1つの研究テーマについて複数の研究を長期にわたり展開することの大変さを痛感しました。私は興味がうつろいやすいので、研究テーマに飽きが来た時期もありました。その一方で大変だった分、重要な学びがありました。1つのテーマを掘り下げることで、当該テーマへの理解が深まることは容易に想像できますが、それ以外に当初は想像していなかった展開となりえることや、複数の結果を統合した場合にのみ生まれる進展があることを理解できました (当初考えられなかったわけですから、その進展は独創的といえるでしょうし、概して興味深いと思われます)。心理学において説得力のある論文は複数の調査・実験をしていることがしばしばあります。博士論文に丁寧に取り組むことによって、大きなフレームの中で研究をデザインする手がかりが少しつかめるかもしれません。

 上述のように博士論文を書くことは長期にわたり大変なことであるため、私自身のモチベーションの維持のためには、博士号を取得できるということ以外に、「博士論文の執筆を経たら何が身につくだろうか」という視点を導入することが非常に重要でした。たとえばですが、先ほど述べたような「複数の研究によって1つの大きい問いに答える(応える)力、これに資する下位研究を構成する力」「個々の研究を統合したときの考察力」も身につくでしょうし、そもそもですが「大きい問いをデザインする力」も身につくかもしれません。他にも「周辺領域を含めた知見の整理 (レビューそのものが役立つでしょうし、レビューする力も身につくでしょう)」「(査読つき論文ではあまり行わないレベルでの) 大局的な考察や、インプリケーションの想像」なども考えられそうです。この他にも研究から少し離れて「やや大きめのタスクの進捗を管理する力」なども考えられそうです。このように様々な意義づけを行い、自分をエンカレッジしてやっと乗り越えることができたと思います。モチベーションの点以外からも、単に提出するのではなく院生生活最後の「学びの場」として機能させることが大事だと考えます。

 次に博士論文を書くための前提、つまり要件についてです。博士論文は卒業論文や修士論文と異なり、提出に際して要件があります。具体的には、査読つき学術誌に規程数の採択が必要となります。査読を通過するためには、・・・なんてことは私からはお伝えできませんが、最低限「謙虚な姿勢」が必要だと思います。「なんで査読者(の先生)は分かってくれないんだ!」という姿勢では採択は遠いと思います。査読はコミュニケーション、それも言語のみでのコミュニケーションであるため、基本的には書き手の情報整理の問題であることが多いと思います (もちろん研究自体が・・・という場合もあるでしょうが)。謙虚であれば、読み手ではなく自分が書いた文章をよりよくする方にエフォートを割くことができるでしょう。傲慢な姿勢は、謙虚な姿勢の真逆だと思います。博士前期課程の時、私はやや傲慢なところがあったと思います。自分のことを過大評価し、他人の話を聞く耳をあまり持っていなかったように思います。また、「わからない」と他者に伝えることを恥ずかしいと思っていたきらいがありました。しかし、学内外の優れた研究者は、どのような人の意見であってもまずはしっかり聞く姿勢を持っていることに気がつきました。また、わからないことはわからないと正直に伝えていることにも気づきました。博士後期課程では私もそのようにありたいと思い、実践できたように思います。傲慢な態度は必ず成長を頭打ちにします。完全に私の経験則ですが、小さな世界にいると傲慢になりがちだと思います。外との交流が「気づき」につながるのではないかと思います。

 以下は、博士後期課程 (というより博士前期課程も含めた大学院生活) に関しての感想です。日々はあっという間に過ぎていきます。大学院は一般的に、企業などで働く同年代の人々と比べて自分の裁量で生活をデザインしやすいと思います。これは良いことに聞こえますが、裏を返せば「どう過ごすか」を自分で決めなければならないともいえます。なんとなく過ごすのではなく、自分の理想を描いてそれを超えていけるととてもよいと思いました。

 最後になりますが、博士後期課程の生活を支えてくれた言葉の1つを紹介します。現在も大変お世話になっている先輩から、「大学院ではMの爆発、Dの爆発がある」と聞きました (その先輩も他の方の受け売りと言っていましたが)。Mは博士前期課程を、Dは博士後期課程を意味しており、それぞれのタイミングで爆発的に成長する院生がいる、という意味だそうです。私は博士前期課程では不発弾だった自覚がありますので、どうにか「Dの爆発」を起こしたいと思っていました。結果は爆発とはいかなかったと思いますが、自分のできるところまでやり切れた・駆け抜けたという感覚はあります。同期や後輩の成長が目覚ましくても、先輩の背中が遠く見えても、誰かとの差を感じて辛い日があっても、この言葉のおかげで乗り越えられたと思います。これから入学される皆様にはぜひ爆発していただきたいです。
p.s. 私は「ポスドクの大爆発説」を示すため、引き続き精進します。

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