論文提出者の声 – 坪田 彩乃

行動系/博士
現所属:名古屋大学教育発達科学研究科

博士論文を「書いた」今、思うこと

「論文提出者の声を書いてください」と依頼を受けたときの第一声は、弱ったなあ、でした。博士論文の中で、一番頭を抱えたのは謝辞だったというくらい、型に嵌まらない文章を書き連ねることへは苦手意識があります。そんなわけで、取り留めのない文章でしかありませんが、博士論文執筆への想いについてつらつらと述べてみたいと思います。
「博士論文を提出して認められました」というわけですから、当然の如く「博士論文を書く」という一連の作業を行ったことになります。しかし、この「書く」という言葉が曲者でした。というのも、博士論文は「書く」以前の課題が山ほどあるのです。
まず一つ目は、「研究」です。当たり前です。己の研究成果をまとめたものが博士論文となるわけですから、研究をしない限り博士論文を生み出すことはできません。しかし、この研究というのは実に厄介です。一筋縄ではいかないのです。博士論文を出す、というのはある意味で一つのゴールですが、そこに至るまでの道筋は無限です。そして、最初に決めた一本の道を何の障壁もなく歩んでいける人間はごく一握りではないでしょうか。急がば回れという言葉のとおり、時には研究テーマからして大きな方向転換が必要になるような、いわばスタート地点に戻ることを求められることもあります。しかし、一度進んだ道を戻ることは非常に難しいものです。それまでに己の費やした時間を無に帰すには、甚大な精神力を要します。博士論文を書く上で一番養われたのは、この精神力かもしれません。もっとも、培われたものなのか、半ば諦めなのかは定かではありませんが……
そして無事に(?)研究が進んだと思えば、次に立ちはだかるのは「査読論文」です。心理系の博論では、学会誌に2本の査読論文が掲載される必要があるのですが、論文を受け付けてくれる期間が学会によってバラバラ(タイミングを逃すと1年が過ぎる)という、超絶難易度のタイミングゲームでした。しかも、無事に投稿できたとしても、掲載されるかは別です。査読というプロセスを経て、掲載を勝ち取る必要があるのですが、この査読者というのがまた相性がある……。ある学会誌では一発不採択だったのに、別の学会誌では一発採択、なんていうことも起こりました。私が投稿した学会誌では、1年に1回しか投稿を受け付けていないこともあり、そこを基準にして研究を進めないといけないというプレッシャーもありました。
そして無事に査読論文を2本手にし、博論の提出要件を満たせば、最後にやってくるのが「博士論文としてまとめる」作業です。ここへ来て根本を覆すような書き方ですが、博士論文は“書く”よりも今までの研究の“集大成をまとめる”方が個人的にしっくりきます。年月をかけて堆積した引用文献や参考文献を手に、一篇の論文としての体裁を成すように“まとめる”のです。論文にしている段階では引用しなかった文献などもありますから、「あの時読んだアレ、どこだっけ……」を幾度となく繰り返し、時には研究に使用した素材を保管してあるUSBメモリを物理的に探したりします。そして数々の困難を乗り越えてようやくひとつにまとめたものが「博士論文」となります。
そんなわけで、紆余曲折を経て漸く出来上がった論文を提出し、審査に合格すれば晴れて博士号を取得するわけです。多くの時間と労力を費やし手にしたアイテムですが、博士号には大卒カードほどの力はありません。とっくに失われた新卒カード、ろくな職歴のない30代、学生証もなくなりキャンパスデーパスポートを買うこともできず、航空券の敬称としてDr.を選べるようになるくらい。長い年月をかけて取得したわりには、うまみはないものです。学位を取らなければという焦燥感に打ち勝ったと同時に気が付いたことは、ここまでが「学問」の所謂チュートリアルでしかなく、今ようやく未知のダンジョンへ挑むスタート地点に立ったのだということでした。少しだけ広くなった視界の先には、自分で歩んでいく真っ新な世界が目の前には広がっていました。正直今は、この先進めていく研究に対してわくわくしています。
と、ここまで好き放題取り留めのないことを書いてきたおかげで、まとめるのに苦労しそうな終わりとなりました。ちなみに全くの余談ですが、博士論文で二番目に苦労した箇所は引用文献リストです。論文執筆時に引き散らかすようにあらゆるところについた付箋から、引用したものと引用していないものを分けていきリストにする膨大な作業に辟易とした記憶があります。そして、まとめようのない文章の最後に頭を抱えている今、思い浮かんだ言葉で締めさせていただきます。
執筆は計画的に。

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