論文提出者の声 – 牧野 裕也

臨床系/博士
現所属:高知大学学び創造センター

3年間で博士号を取ることの実際

 この原稿の依頼をいただいた際、正直言って書くべきかどうかとても悩みました。確かに博士号の学位を取ることはできたのですが、何か役に立つことを書けるか、書くに値する人間なのか、自信がなかったからです。

 けれども、自分にしか書けない体験もあったのではないかと思い直して、ここに書き留めておくことにしました。既に、“博士論文提出者の声”として先輩方が助言してくださっているため、なるべく内容が被らないようなものを書こうと考え抜いた結果、タイトルの通りとなりました。はじめに断っておきたいのですが、今回の記録では、可能な限り客観性を排し、主観性を大事に書くことを心掛けました。自分の色を出すためには、主観的に綴る方がかえって効果的だと考えたからです。そのため、これから学位を取ろうとされる方の誰しもに当てはまる記録とはなっていないことを強調しておきたいと思います。あくまで、こんな体験をした人もいたらしい、くらいのニュアンスで受け取ってもらえると私も気が楽です。また、読者は、大学院後期課程に入学前の方で、学位を取ることに少しでも興味がある方を対象としています。既に後期課程に入学されている方は、自分なりに体験を積み重ねていると思いますし、私の意見を参考にしようとすると、かえって妨げとなってしまうかもしれないと思ったからです。

 本題に入る前に、もう少し前置きをさせていただきたいと思います。他者の体験を読むときは、その人の背景、文脈などの前提を十分に押さえておくことが必要と考えています。そうでないと、個別具体的な体験を過度に一般化してしまう恐れがあるからです。そのため、私が置かれていた立場や状況を簡単に整理しておきたいと思います。私は、卒業論文の執筆を通じて何となく研究が面白いかもと思い、大学院前期課程に入学した段階でどうせやるなら博士論文まで書いてみたいと考えていました。指導教員は、論文投稿や博士論文の執筆について、何一つ嫌な顔をすることなく時間を割いてくださり、私の背中を大きく後押ししてくれました。しかし、家庭の事情や経済的な事情もあり、大学院生として長い時間をかけることは難しい状況でした。そのため、常に、最短経路を取って社会に出ることを意識して(させられて)いました。結果として、後期課程には3年間在籍した後、博士号を取得しました。

 前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。まず、3年間で学位を取ると、そうでない場合と比較して、大学教員としての就職の幅が広がります。既にご承知の通り、時代の変化とともに、博士号は、研究者としての最高峰の称号から最低限の免許証へと位置づけが変わりつつあります。そのため、これから先、大学教員として就職を考えているのであれば、ぜひとも若い内に学位の取得に向けて励んでほしいと思います。大学教員の公募を見てみると、応募条件には、修士号を持つ者という求人と博士号を持つ者という求人の大きく2種類があります。博士号を持っている者が、修士号以上とされている求人に応募してもよいわけですから、博士号を持っていると単純に選択肢の幅が広がります。

 私自身もいくつかの求人に応募をしました。大体の求人の選考フローは、書類選考に始まり、書類が通過をすると面接選考があります。選考中はまだ博士号を取得していなかったため、取得見込みとして書類を提出することとなります。選考を受ける前は、学位を取ろうとしていることに対して、“何者でもないのに早すぎる”と選考委員の先生から怒られるかもしれないとさえ思っていました。選考委員を務めるようなベテランの先生にとっての博士号の価値は、前述の通り最高峰かもしれなかったからです。しかし、少なくとも、面接選考に呼んでいただいた全ての大学では、非常に肯定的な評価をしていただきました。特に、“若くして”という部分を評価していただけました。どの業界もそうかもしれませんが、“若さ”は、未熟ということでもありますが、同時に何にも代えがたい大きな武器であるとも思いました。そうしたことからも、大学教員として就職を考えている方は、3年間で学位を取ることを目指してみてもよいかもしれません。ただし、もしかすると混乱を招くかもしれませんが、博士号を取得したから就職ができるとは言い切れません。どこまでいってもご縁の要素も十分に大きいからです。あくまで、選択肢の幅が広がるに留めておければと思います。

 しかしながら、実際には、圧倒的に時間が足りないことも事実です。タイトルに「3年間で」とつけましたが、これは実は正確ではありません。私は、学部生の時に取った卒業論文のデータを使って、大学院前期課程の1年に初めて論文の投稿を行いました。つまり、博士論文の準備には、前期課程2年+後期課程3年の最低でも5年の時間をかけたことになります。分析データの取得はもっと前ですから、それもいれるとさらに多くの時間がかかっています。それでいて、博士論文の最終提出はかなりギリギリでした。私は、人よりも物事を吸収するのに時間がかかり、要領が悪いです。そのため、後期課程に入学してから、「どっこいしょ」で博士論文の準備を始めていたとしたら、今頃これを書いていることはなかったと思います。また、提出した博士論文のクオリティは高いとは言えません(これは謙遜ではなく、本当にそうなのです)。いろんなことをかなりの駆け足で進んでいったため、大満足の内容とは至りませんでした。そういうわけで、冒頭の「自信がない云々」に繋がるわけです。さらに、大きなことを成し遂げたという達成感もほとんど感じませんでした。唯一、解放感は大いに感じました。もしかすると、博士号を取得することに過度な理想化があると、不全感があったり、空回りをしたり、肩透かしにあうかもしれません。

 そして、肉体的・精神的な負担はとても大きいです。時間が足りないこととも関連しますが、博士論文の準備や執筆にかなりの時間を取られることとなります。そのため、趣味や娯楽にたっぷりと時間を取った上で、3年で博士論文も書き上げたい!というのは少なくとも私には無理でした。また、私は、博士論文の執筆だけでなく、週1で非常勤講師の仕事と週3で心理臨床の業務を行っていました。1日は24時間しかありませんし、1週間は7日間しかありません。そのため、どうしても優先順位をつける必要はあると思いますし、人によっては犠牲にしなければいけないものも出てくるかもしれません。さらに、博士論文の準備として、論文を学術誌に投稿する際には、査読者からの指摘が多く入ります。指摘で済めばよいですが、不採択として論文そのものを受け取ってくれない場合もあります。ちなみに私は、2回不採択を経験しています。この一連のプロセスが、私にとっては一番きつかったです。当然ながら、投稿する前には何度も修正を行い、自分としては万全の状態で投稿を行うわけです。にもかかわらず、指摘や修正が入ると、自分としては完成させてひと段落つけたものに対して、もう一度エンジンを入れなおさなければいけません。不採択の場合はなおさらです。

 以上、取り留めもなくダラダラと執筆してしまいました。自分の人生や成し得たいことなどとよく相談しながら、後悔のない選択を行ってほしいと思います。博士号を取得するだけが人生ではないと思いますし、取得したとしても劇的に何かが大きく変わるわけでもありません。この記録が、どこかの誰かの役に立てれば幸いです。

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