論文提出者の声 – 古橋 健悟
臨床系/博士
現所属:科学警察研究所
博士論文執筆を振り返って
この度、名古屋大学より博士の学位を授与される運びとなりました。ここでは、博士論文を執筆した上での感想を簡単に述べた上で、やってよかったこと・(やったけど)やらなくてよかったことを綴ってみます。少しでも参考になりましたら幸いです。
博士論文を提出してみた率直な気持ちとしましては、「なんだか一つ難題を乗り越えた嬉しい気持ち」と「でも通過点の一つでしかないなと引き締まる気持ち」が混在した気持ちです。博士論文を提出した直後はとてもスッキリとした気持ちでしたが、しばらくすると、これは長い研究人生の中で一つの通過点でしかなく、学位を持った上で何をするのかが重要なのだと思うようになりました。加えて、「自分一人ではできなかった」ということも思います。博論を執筆する中で、名古屋大学大学院では、学位取得をサポートしてくださる体制が十分に整っているなと感じました。
さて、博論を執筆する上でやってよかったと思うことの一つは、「他者に頼る」ということです。研究を進める上で、先生方や先輩、同期の人々、後輩等々に助言を求めたり、雑談をしたりすることは、私にとってとても重要なことでした。そうは言っても頼るのはなかなか気が引ける…ということもあると思います。そのような場合には、複数の相談先を作ることで申し訳なさを分散させたり、自分も何か協力することで貢献感を高めたりすることで、頼りやすく感じられるかもしれません。加えて、現代においては、頼ることのできる「他者」とは、身近にいる先生や先輩同期後輩に限らないように思います。例えば、SNSでのネットワークを築くことで、何気なくタイムラインを監視していたら有用な情報を得られた、疑問が解消された、就職先が見つかった…ということがあるかもしれません。さらに言えば、便利なツールを使いこなすことも「頼る」の内に入るのではないかと思います。例えば、(具体的なツール名は伏せますが)関連論文をサジェストしてくれるアプリ、論文管理を便利にしてくれるソフトウエア、英語の読み書きを補助してくれるサービス…等々、「頼る」ことのできるものはたくさんあります。もちろん人やツールに頼りすぎて依存的になってしまうのも問題ですが、適度に「他者に頼る」ということは、博論執筆において重要かつ不可欠なものだと思われます。
次に、やらなくてよかったことは、「結果に一喜一憂する(しすぎる)」ことです。ここで言う「結果」というのは、査読や研究費の応募、賞レース等の結果のことです。私自身落選したものが結構多いので、負け惜しみのようになるかもしれませんが(そして実際に負け惜しみの部分もあると思いますが)、査読や研究費の審査では、審査者との相性等の運要素もあって、通る時もあれば落ちる時もあります。私も不採用や落選通知をもらった直後は結構落ち込んでいた気がしますが、振り返ってみると、少し落ち込んだ後「そんなこともあるわな…」くらいで切り替えることが出来たらよかったと思います。個人的には、不採用や落選を貰いまくるからといって研究や博論執筆に向いていないとは全く思わないですが、「『不採用や落選を貰いまくるから研究や博論執筆に向いていない』という思考をすること」は、研究や博論執筆の妨げになると考えています。関連して、(これは人によって意見が分かれるところかもしれませんが)「博士在学中の3年間で博論を完成させよう!」とこだわり過ぎないことも重要だと思われます。もちろん3年間で出せるならそれに越したことはないのかもしれませんが、焦ってやって心のバランスを崩してしまうと楽しくありません。課程内で提出しようとする場合、進学後6年以内(2022年度現在の制度です)という期限があるので、どこかで区切りをつける必要がありますが、焦りすぎず心の余裕を持って進めた方が、心身の健康と論文の質が高まると思います。ただし、就職活動との兼ね合いもありますし、就職してから執筆するのは大変だ…ということもあるかと思います。いずれにせよ、どのタイミングで出すのが自分にとって一番喜びがあるかを考えて(加えて、先に述べたように他者に相談して)、「在学中」の枠にこだわりすぎないことが重要だと個人的には考えています。
最後に、ここまでなんだか偉そうなことを書いてしまった気がしますが、以上で述べたことはN = 1の体験談であり、博士の数だけやり方があると思います。したがって、色々なやり方の中から一番楽しそうなやり方を見つけていただき、苦しみながらも楽しく博士課程ライフを進めていただくとよいと思われます。それに際して、この文章が少しでも参考になれば幸いです。