留学希望の名大生へ

留学制度

名古屋大学には2019年度、約120カ国から2,700名の留 学生が来学し、学習・研究に励みました。また、2019年度に名古屋大学から海外の大学等に留学した学部生・大学院生は、約1,100名にのぼります。

本学部は、学部生・大学院生が海外に留学するのを応援 しています。1981年、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)との間に、1996年には、カナダのトロント大学オ ンタリオ教育研究所(OISE)との間に、大学院生の交流協定が結ばれました。また、同じく1996年には、中国上海の華東師範大学教育科学学院と、学部生・大学院生の交流協定が結ばれ、学生の交流を行っています。今日では、本研究科・学部 独自の部局間国際交流協定のもとで、中国、台湾、インドネシア、モンゴル、ドイツ、アメリカ、カナダ、シンガポールの計9の国・地域、11の大学・学部と交流を実施しています。現在、名古屋大学が中心となって大学間交流協定を結んでいる海外の大学は200校を超えています。

これまで、本学部関係の学生が留学した主な大学は以下のとおりです。オバーリン大学(アメリカ)、レスター大学(イギリス)、 ロンドン大学(イギリス)、ローマ大学(イタリア)、フィレンツェ大学(イタリア) 、フンボルト大学(ドイツ)、コペンハーゲン大学(デンマーク)、シカゴ大学(アメリカ)、スタンフォード大学(アメリカ)、ウィスコンシン大学(アメリカ)、UCLA(アメリカ)、ノース カロライナ州立大学(アメリカ)、ミネソタ大学(アメリカ)、南京大学(中国)、北京大学(中国)、北京第二外国語大学(中国)、吉林大学(中国)、ディポネゴロ大学(インドネシア)、OISE(カナダ)など。奨学金制度も充実しています。海外留学を前向きに考えてみてください。

主な留学先

留学先の例

アメリカ・イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校、デンマーク・コペンハーゲン大学、トルコ・ビルケント大学、フランス・ストラスブール大学、カナダ・トロント大学、スウェーデン・ウプサラ大学、アメリカ・シンシナティ大学、アメリカ・ミネソタ大学、中国・香港中文大学、アメリカ・セントオラフ大学、シンガポール・南洋理工科大学など

教育科学専攻大学院生の留学先大学名と人数

以下に、本専攻学生のこれまでの海外留学先を記す。

本専攻大学院生の留学先大学名と人数

2005年6月現在

国名 留学先大学名 人数
アメリカ コロンビア大学 1
ミシガン州立大学 1
シカゴ大学 1
シンシナティ大学 1
イリノイ大学 2
ウィスコンシン大学 2
ミネソタ大学 3
スタンフォード大学 1
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA) 3
イギリス マンチェスター大学 1
ウォリック大学 1
ブリストル大学 1
中国 吉林大学 1
南京大学 1
四川総合大学 1
香港大学 1
華東師範大学 1
インドネシア パダンパンジャン大学 1
カンボジア プノンペン大学 1
ドイツ ルートヴィヒスブルク教育大学 1
ブラジル カンピーナス大学 1
イタリア フィレンツェ大学 1
カナダ トロント大学オンタリオ教育研究所(Ol SE) 1
オーストラリア メルボルン大学 1
チェコ カレル大学 1
韓国 高麗大学 1
合計 34

体験談

トロントで見て聞いて、考えたこと カナダ・トロント大学オンタリオ教育研究所に留学して

私は博士課程後期課程2年のときに、本研究科と研究交流協定を結んでいるトロント大学 オンタリオ教育研究所(OISE/UT)に1年間留学しました。目的は、研究テーマであるメ ディア・リテラシー教育の現場を観察し、教材などの資料を収集することでした。 OISE/UTへの留学は、学部学生の頃から漠然と夢に描いていましたが、実現するまでにはいろいろなことをクリアする必要がありました。 まず、私の場合は英語でしたが、外国語のスキルを習得しなければなりません。これは、大学院の授業を受けたり、研究調査活動をおこなう上で不可欠なだけでなく、留学先の大学や奨学金を支給する団体が持っているTOEFLスコアの基準を満たすためにも必要です。英語が得意でなかった私は、たいへん苦労しましたが、最終的にはカナダ政府奨学金を得ることができ、無事トロントへと飛び立ちました。 最初の2ヶ月は、自分を英語環境に慣らすために、トロント大学内のESLコースを受講し ました。ここで、おもにアジア圏からの若い学生たちと出会い、夏の青空のもと、森の湖でカヌーをして遊びました。この頃、まだ北米は平和な場所でした...。 2001年9月11日は、大学院のゼミ初日でした。授業は夕方からだったので、午前中はそのとき開催されていたトロント国際映画祭に、日本映画を見に行くことになっていまし た。 家を出る前に見たテレビが映し出していたのは、崩れ落ちていくビル。 映画は上映されたものの、その後の映画祭は一時的にキャンセル。店は次々と閉められ異様な雰囲気に包まれるダウンタウン。その日のゼミは、ガイダンスと自己紹介だけで終わり、 みな足早に帰っていきました。 その後、調査のために訪れたどの高校のメディア・リテラシーの教室でも、テロを伝える新聞や雑誌の切り抜きがあふれていました。トロント教育委員会はテロ報道の授業での取り上げ方のガイドを教師に向けて発行しました。メディア・リテラシーを教える教師たちはシンポジウムを開き、テロ後の世界と教育をめぐってジャーナリストたちと議論を交わしまし た。 不幸な事態がきっかけだったのは悲しいことですが、カナダ人のアメリカへのまなざしとそこにある葛藤を身近に見ることができたのは、忘れ得ぬ体験です。予想外の出来事に、初めのうちはうろたえるばかりでしたが、時間の経過とともにおのずと自分の研究テーマも明確になってきました。 メディアが切り取る「世界」に対する批判的視角を、わたしたちはどうすれば持てるのか? テロの恐怖も薄らいだ2002年6月、帰国準備をする私の耳を楽しませたのは、ポルトガル系やコリアンといった隣人たちの歓喜の声でした。日本ではワールドカップサッカーをめぐってどんなメディア・イベントが展開しているのだろう?新しい眼で日本を見ることに期待しながら、生活と研究が一体となった1年間の留学を終えました。

上杉 嘉見

私の留学体験記(University of Illinois at Urbana-Champaign)

イリノイ大学で過ごした一年間は、私の人生にとって本当に大きな意味をもつものになりました。慣れない環境、英語での授業についていくのは大変でしたが、自分がやる気をもって、積極的に行動していれば、いつも誰か、例えば教授や、アドバイザー、そして友人が私を支えてくれ、十分なリソースを手に入れることができました。学校環境も本当に素晴らしく、深夜まで開いている図書館はもちろん、学生が自由に使えるソファや椅子、机が至る所にあって、みんなグループワークをしたり、それぞれの課題をしたり、時に居眠りをしたり、自由な雰囲気で学べる環境がありました。あちらでの、「平日はしっかり勉強、週末はリラックスして羽をのばす!!」という緩急のバランスのとり方も体得できた気がします。教会やコミュニティーサークルといった大学を越えた地域でのボランティア活動もたくさんあって、そこでの出会いや学びも、大学でのそれとはまた違って、大切な経験になりました。私は、留学生活を通して、「学ぶ」とはどういうことか、そして「学ぶ」ことの楽しさを実感できました。そして何より、世界中から来ている学生と友達になって、互いの価値観や文化を分かち合えたことはかけがえのない私の財産です。相手の文化への理解を深めるには、自分の文化をまずしっかり理解して、大切にすることも重要だということを痛感しました。あちらでの生活の中では、楽しいことばかりでなく、様々な壁にぶちあたることもありますが、主体性をもち、積極的な態度でいれば、「留学」は、新しい自分との出会い、たくさんの人との出会い、より広い世界との出会い、色んな出会いを与えてくれると思います。

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